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  • 2007.02.22 Thursday
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中国雲南省の旅

 雲南省は7年前に旅行したことがある。今回は二度目の旅となったが前回行った時、麗江の北に大変景色の好いところがあるが外国人を受け入れるホテルがない。2〜3年後にはホテルや道路を作り、受け入れられるように成るとのことであった。その後、旅行案内等を調べてみると其処は中甸(チュテン)現在シャングリラ(地上の楽園)と云うそうだ。今回の旅は此の地上の楽園も含めて計画を立てた。

10月6日 成田発中国南方航空で広州へ夕方到着

10月7日 広州からシャングリラへ
広州発7時10分の飛行機に乗る為早朝に起床。空港へ向い約2時間半でシャングリラに到着した。 
海抜3,200mのシャングリラは秋の景色である。麦の収穫は終りトウモロコシを沢山各地で乾燥していた。牛も羊も放牧なので木組で高い台を作り牛に食べられない高さで干してある。

グループ13名と現地通訳女性と広州から旅行中最後まで添乗してくれる通訳の王様と中型バスにてシャングリラ観光へ向い。最初に到着した所は納 海自然保護区、現在は西蔵(チベット)族の人が馬に観光客を乗せて案内するなど観光地となっている。私達は一人30元、払って西蔵(チベット)族の馬術を見学した。走りながら馬上に立つ、逆立ち、馬上から下に落ちている物を拾うなど、様々の馬術を見学した。

 此の納 海周辺は4000m以上の山に囲まれている。
雨期と乾期があり雨期は一面の平地が湖の様になり、乾期は水が無くなって草が生えて牧場になる。此処を納 海(ノーポーハイ)と言う。
今は水が無くなった納 海の草原を歩いた。遠くには長毛牛(ヤク)や羊の放牧が見える。又、子供連れの母豚も草を食べていた。此処の豚は全部放牧で黒豚である。ちなみに中国では豚と云う字はあまり使わず、猪と書く。日本では猪と書けばイノシシだが、中国では豚の事であり「猪肉」と書くと豚肉の事を云う。本当の猪は「野猪」(イエチユ)と書く。

海抜3,200mで富士山の八合目位で空気が薄い為、我々メンバーはスポーツ用の酸素ボンベを購入した。殺虫剤のスプレーより少し大きく、軽くて液体でないので振っても音も無く、中味が入っているかどうか感じなかった。

次に松賛林寺(ツオンサンリンス)西蔵(チベット)仏教(ラマ教)の寺で僧侶が700人も居るとの事だ。700人の僧侶の家は本堂の下の斜面に段々に建っていた。
駐車場から寺の本堂まで階段が140段ある。かつて西蔵(チベット)の拉薩(ラサ)のポタラ宮へ行った事があるが其処は海抜3,800m位であったが自動車で裏側の一番上まで行き裏から入って見学、拝観をしながら段々下へ降りて来るので苦労は無かった。
松賛林寺は富士山で云うと8号目から9合目に登るようであった。私も27歳の時に富士登山の経験があるが大変苦しい場所である。
寺の写真を撮りたいのでの登る事にした。階段は幅が狭く急である。10〜15段位で踊り場があり、其処で酸素吸入をして休み、又登ることを繰り返しながら上まで登った。私は老齢だからゆっくり登ったが上に登るとグループのメンバーは先に着いていた。
残念ながら寺院の内部を一周りしたが撮影禁止であった。

建築様式はチベットのポタル宮と同じで色彩も西蔵(チベット)式だ。屋根には金貼りの2〜3m位の塔が一つの棟に約10ケ立っていて金色燦然と輝いている。西蔵(チベット)の拉薩(ラサ)で泊った時、夜に夕立があったが物凄い雨と霰と雷で驚いたが此処でも天候の急変がある筈だ。屋根の金貼りの塔は避雷針の役をしている。ポタラ宮は僧侶が3000人も住めるようになっている。
草原の牧草地には真っ赤になった葉の草があり毒草で狼毒(ランドゥ)と云う。秋になると赤になる。此の草は春から夏までは緑色だそうだ。シャングリラのホテルは街の中にあり西蔵(チベット)様式の外観の建物だが新しくて設備も充分である。街は新しい都市計画で作られ、道路は広く近代的である。
食品市場を一廻りしたが食品も野菜、果物も沢山あった。豚肉、羊肉、ヤクの肉も売っていた。ヤクの肉は豚や羊よりも価格が高かった。

なぜ此処が地上の楽園、理想郷(シャングリラ)と呼ばれているのか?
アメリカ人の探検家が20世紀の始め頃に此処でしばらく生活をした。人情が厚く。食料は自給自足、人々はのんびり生活をしていて帰国して旅行記を書きこの地を理想郷(シャングリラ)と書いた事で有名になった。
最近までは此処に来るには3000m、4000mの峠を歩いて越えなくてはならなかった。
現在は空港があり、道路もあって自動車でも来られる。納 海で馬術見学した時も大勢のチベット人がのんびり草原に屯していた。

私の推測だが長毛牛(ヤク)も羊も豚も放牧で自然の草を食べて大きくなる。人間は働かなくても家畜は放牧で大きくなり子供を産んでくれる。自分達が食べる麦焦しの麦を作るだけである。麦焦は麦を炒って粉にしてお茶やバターで練って食べる。此れがチベット人の主食になる。牛乳も野羊乳も手に入る。お茶や衣類を買う金は動物を売れば好い。衣類も羊毛が利用できる。敷物は自分達で絨毯を作り、建物の煉瓦も日干煉瓦で作り、テントは長毛牛の毛で作る。燃料は牛糞、羊糞で間に合う。あくせく働かなくても生活には困らない。それで理想郷と呼ばれているのではないか。

10月8日 シャングリラから麗江へ
我々グループはチャーターのバスで朝シャングリラを出発。天気は霧雨であった。途中草原に狼毒草が真っ赤になっているので写真を撮り、車で1時間位走り農家の所で車を止めて見学した。
今日は海抜3200mの所から虎跳峡を見て長江第一湾(海抜1500m)まで下り、麗江の海抜2400mの所へ行く。直線なら150km位だが道は狭く山坂を越えて行く事になる。
途中下り坂になった道は箱根仙石原から元箱根へ渓谷を下るような道だが舗装のない狭い道をガタガタ揺られながら降りて行く。日本でも40〜50年前はガタガタの砂利道であったが現在は全国的に舗装され砂利道はなくなった。
海抜3200mから1500mに下るには箱根の下り坂の2倍もある長さだった。此の道を大分下った所で水力発電のダム工事をしていた。
20〜30年前の中国は電力が極端に不足しており夜の街は暗かった。今ではネオンが沢山あり街灯も明るく広州の夜は一変した感じがする。
最近は火力発電所も各地に出来たようだ。人口13億の中国ではまだまだ電力需要は伸びるだろう。水力発電も奥地の川を利用して次々に新設している。

昼食は虎跳峡鎮という小さい町で取った。虎跳峡は其処から5km金沙江の左岸を行った所にあった。 金沙江は長江(揚子江)の上流で水は黄色い濁流であった。青海省に源を発して西蔵を通って来る間に、もうこんなに黄色い濁流になっている。
かつて、西蔵(チベット)の拉薩(ラサ)で見た川の水は清流であった。
牛皮船(ニューピーツワン)や羊皮浮子(ヤンピーフワーズ)を使って、川を渡るのかと通訳の王様に尋ねるとこの付近は流れが急なので危険だからあまり使ってないとのことだ。

牛皮船(ニューピーツワン)は西蔵(チベット)の川でも見たが、牛皮一頭分の中に木の枠と梁で広げて乾燥した船であった。中に人間が乗り川を渡り非常に軽いので簡単に一人で運べる。我々の作るFRPの舟よりずっと軽い。
羊皮浮子はシルクロードのテレビ放送で見た事があるが羊の皮の足先から空気が漏らないように紐で締めて一箇所の足から空気を吹き込み膨らまして此れを木で作った枠に10ケ位取り付けて浮にして其の上に人が乗り、時には荷物も乗せて川を渡る。揚子江の流れのゆるやかな所で使っていた。
虎跳峡は川幅が狭く急流だから危険であろう。
車を駐車場に止め、急な階段を400段も下りると川の中央に岩があって
(虎跳峡という名はこの岩を虎が足がかりにして川を飛び越えるだろうという事で名付けたそうだ。)階段は狭く老人の私には危険と思い下へ降りるのは中止した。二人で担ぐ駕籠があるが日本の駕籠とは違って2本の棒の間に乗るようになっている。往復で80元との事であった。次に長江第一湾は本の写真で見ると北から南に流れて来た川が北東に向かって流れを変える。
此れを見る所は曲がった所から2〜3kmも手前から望む感じで面白くない。湾の傍まで行く道も無いとの事だ。駐車場には野天の土産物店が沢山あり水牛の角の彫刻物や野生鹿の角等が売っていたが裏を見るとポリエステル樹脂の注型で作ってあった。なる程、同じ物が各地で売っていると思った。
麗江へは此処から900m上りの道を1時間も走って到着した。麗江の銀行で外貨交換をし、夜は観劇した。新しい近代的劇場で内容も近代的であり同行の皆は喜んだ。

10月9日 麗江観光
朝一番に黒龍潭公園へ。
池の周囲に古い建物が林脱解。萬寿亭。東巴古籍文献。納西古樂宮、龍神詞、玉水龍宮。古い城。池には鯉や鱒が居て清水が池の底から噴出している。数百年ほどの老木もあり静かな公園であった。晴天なら此の池に玉龍雪山が水面に雪山の姿を映すのだが今日は曇りで玉龍雪山は全然見えない。前回は3月だったので乾期で、雲は無く玉龍雪山を3000mの高地から手に取るように見えた。
予定していた雪山観光は出来ない為、郊外の農家を見学した。農家へ行く途中は7年前に来た時は石ころ砂利の広い河原のようであったが今は開墾されて農地になり玉蜀黍や菜種、麦の畑になっていた。農作物の収穫期の為どの農家も玉蜀黍が軒下に乾燥していた。其の後お茶の老木のある寺に行く。
街へ帰り世界遺産に登録された麗江の古い街を見学した。前回は表通りだけを見学したが今回は裏通りから坂を登って見晴台まで行き、帰りは嘗て此の地の王様だった木氏の城及び内部を見学した。王様の接見の間は立派な磁器の置物や紫檀、黒檀の家具で飾られ玉座は虎の毛皮が敷いてあった。議事庁(議事堂)の大きい建物もあった。菊の花も鉢植えが並んで秋を想わせる。
この日は、皆、長時間歩きながらの見学でかなり疲れたようだ。
麗江の旧市街は中国清朝時代の建物が並ぶ街である。
7年前は表通りだけを見学したが其の頃は3軒に1軒位が土産物店や飲食店で古い時代の街並みではあったが今回我々の見た街は軒並み売店や飲食店、宝石店、衣服店、民宿、骨董店、土産店等が並んでおり其の日は平日であるが観光客は何万人来ているのか、細い通りは人、人、人で先がつかえる程の混雑であった。
 麗江周辺は大都市がある譯でなく農村地帯である。
女性グループの人に「 里来了 (どこからきましたか)?」と尋ねるとマレーシアの華僑であった。此処はマレーシア、シンガポール、泰国には非常に近いので周辺国からの観光客が多いのだ。日本の観光地もこの様な店を並べたら活性化するだろうと思う。
モンスーンの影響がまだ残っており、天気が曇りで玉龍雪山5600mは全然見えなくて残念であった。

10月10日 麗江から大理へ
麗江2200mから朝出発して500〜600mの峠を越えて大理に到着し昼食となった。大理周辺の山は海抜4200mだが今はまだ雪がない。
大理は大理石の本場で大理の地名が着いた。大理石の加工品が沢山売られていた。美しい色の大理石製品もあったが土産に買うには重過ぎる。
崇聖寺の三塔は(中央の塔は高さ69m)有名で沢山写真撮影をした。 海と云う湖岸で休み、
大理古城で写真を撮って休憩した。
建物は大理の特長のある古い建築様式の建物が多くあった。
夕食は白族の地元料理(沙鍋魚)を食べた。此処では麗江程観光客は居なかった。
10月11日 大理から昆明へ 海抜1900m
朝8時10分発の昆明行きの飛行機に乗るため、5時起床、6時出発空港へ向う。南北に細長い 海の東側の南の方にホテルがあり空港は西側の北にあった。昆明に到着して円通禅寺、龍門石窪等を観光した。翠湖公園の池にあるFRP製の貸しボートは前回来た時もあったがメンテナンス不良で汚れていた。私は前回此の龍門石窪には来た事があるので車の中で待っていた。
 雲南省民族博物館では雲南省各地の小数民族の衣装が種族別に沢山展示されていた。真慶文化広場は中に入ると紫微殿、老君殿、都雷府、清風亭、雷神殿、火神殿、塩隆祠、萬慶塔等、建物の天井、壁、扉等も大変立派であった。軒先、軒裏の木組彩色は本当に素晴らしかった。日本の寺や宮が各部屋にあるようであったが、内部の仏具や神棚は無かった。文化大革命の時に持ち出されたのであろうか。最後に入った部屋には磁器の壺や花瓶や玉器等が黒檀や鉄刀木(タガヤサン)で作った飾柵に入れてあり飾柵共の1セットで売っていた。日本へも荷造りして送ると言った。セットにより80万〜150万円位各種あり買ってくれとの説明があったがグループの者は誰も買わなかった。
日本のテレビ番組、お宝拝見で中島清之助の説によると掛け軸と陶磁器は偽物が多く中国の磁器で裏に乾隆と書いてあっても現代景徳鎮で焼いた物でも裏に乾隆と書いてあるので必ずしも清朝時代の物ではない物が多い。とのこと。となると、骨董品と言われても信用出来ない。しかし景徳鎮の磁器は現代物でも立派な物があるが壺や花瓶は割れる心配があり、機内持込でないと安心出来ない。

10月12日 石林へ
 昆明から約100km、石林へ向う。前回来た時より道路が好くなり高速道路も出来ていた。
途中、国営の翡翠の店に立ち寄った。店内だけでも300坪はありそうな立派な店であった。此の店は値引きをしない。定価販売の店であった。私は安物の老眼鏡を約1000円で買ったが、やはり、日本のレンズと比べ、研磨不足を感じた。だが安いから仕方がない。
石林は中に入ると細い道で後から次々人が来ると階段を上ったり下ったり。狭くて一方通行になる。私は前回疲れたので今回は外から見るだけにしようかと思っていたらガイドの王様が電気カートを頼もうと言って、2台予約してくれたので中に入らず、外から見学した。中からでは見られない所もあって皆様喜んでくれた。
石林の石の林は見事であった。2回目でも感動した。前回に比べ、7年の間に石の間の木々が生長して大きくなった事を感じた。
石林から昆明に戻り午後4時25分の飛行機で広州へ行く予定であった。しかし今朝、ホテルのテレビで中国酒泉(シルクロードの敦煌の西にある)から有人宇宙衛星を今日、打ち上げる予定だが酒泉は今朝雪が降り打ち上げを遅らせているとの放送があった。
昆明空港に着くと、衛星打ち上げが遅れた為に中国国内航空便全便飛行をストップした。衛星打ち上げは成功したが航空便は全便2時間遅れとなった。時間が出来たのでスーパーで買物をした。私は前回、車でシーサンパンナを走行中、露店でパイナップルを売っていた。車を止め、パイナップルを買って食べたがこれが畑で収穫する時、既に完熟したもので甘く香りも好く一同はこんな甘いパイナップルは食べた事が無かった。コンテナー一杯輸入したいと言う人も居た。今回スーパーでパイナップルがあったので買って広州まで持参して夕食の時に出して貰ったら全然甘くない。日本ではパイナップルを買ったら追熟して甘くなるのを待って食べなくてはならないがスーパーのパイナップルはやはり未熟だったのだ。
 広州空港は今年新空港が完成した。日本の成田の倍はあると思う程大きく広く立派な設備の空港であった。広州の街も高層ビルが沢山出来て私のホテルも30何階のホテルで窓から珠江が見え観光船が灯りを沢山灯して河を走っていた。ネオンや街灯も沢山出来て街は明るくなっていた。

10月13日 
朝の飛行機で日本に向かった。最近は輸入のウイスキーやコニャックも国内で安く売っているから空港の免税店で買う人も居なくなった。又、テロ防止の為機内持込の荷物検査は厳しくなり、お茶のペットボトルも中にガソリンや危険物が入ってないか蓋を開けて臭いを嗅いで確認するようになり、スニーカーでも金具が付いていると脱いで中を検査する。

平成17年10月


中国北京、威海、大連

毎年1回位は中国旅行をしているが、最近南の方が多く北は5年位行きませんでした。
今回は北京、山東省の威海、大連を訪問する事にしてグループ6名で出発した。

10月30日(土)
北京は昼過ぎに到着して、グループの内4名は北京のガイドと共に故宮博物館見学 に向った。 私と当社の宋宏明は中国複合材料集団公司を訪問して中国のFRP業界の発展の状況をお聞きした。日本のFRP船廃船処理に興味があった。
夕方6時に北海膳に集合して、宮廷料理に舌鼓を打った。

10月31日(日)
万里長城行とFRP工場行に分かれる。4名は観光で万里の長城と明の十三陵見学へ向い、 私と宋様は原鴻工芸製作所のFRP工場へ行き見学した。其の時北京航空航天大学の複合材料学科の申先生も同行した。其の工場は中国の歴史的な彫刻物等をシリコンゴムで型を取って作ったり、バスの車の前面やダッシュ板、側板等バスのFRP部品を製作していた。 日本の千葉の三原様が技術指導した工場で内部の整理整頓が行き届き、FRP型の精度や型の保存も好く製品も美麗に作っていた。
夕方又、観光グループと合流、申先生御夫妻が来てくれて同席して頂き鴨王民族園店で北京ダックの料理を食べた。

11月1日(月)
北京から威海へ。朝7時50分発の煙台行の飛行機に乗るので5時起床して、5時半出発して空港で朝食した。煙台には威海竹内FRP造船の合弁公司から、バスが迎えに来ていて高速道路約1時間余りで造船工場に到着した。威海に前に来た時はメイン道路から横に入る3Km位は農村、漁村であったが今回驚いたのは其の間が別荘、高層マンション、ホテル、売店、海水浴場等が出来て5年前と一変していた。
合弁工場の造船所は建物も新築して、FRP造船50屯クラスまで建造出来るようになっていた。海面の養魚場も廣くなり、新しい拡張計画もあった。
養魚場に面して箱船が浮べてあり大きい箱船で、2階建てで客室が20室位あり月曜日だが食事の客が多勢来ていた。入口に魚や貝類が色々水槽に展示してあり自分の希望の物を注文すれば料理してくれる。合弁会社の社長も同席して20種位の魚や貝の料理を御馳走になった。午後は関連会社で作っているFRP釣竿工場やポリエステル樹脂、エポキシ樹脂、フェノール樹脂工場を見学した。
威海のホテルは造船所の近くの海水浴場に面してあり、新築で5の星クラスの金海湾国際飯店に泊まった。海岸線が一望に見えて景色は好いが海が荒れていた。

11月2日(火)
威海から大連へ。
此の日は風が強く海が荒れて予定していた劉公島観光は出来ず、 野菜果物の市場と魚の市場も見学した。 市内観光や買い物や此の市の釣竿、釣具メーカーが多く展示場等の見学、夕食後8時半発の大連行の船に乗船した。海が荒れて船は大きく揺れていた。

11月3日(水)
大連到着
朝4時半に大連に到着の予定が海が荒れて遅れ6時過ぎに着いた。大連駅前の華美達酒店(ホテル)に入った。 観光は大連広場ロータリー周辺の日本統治時代の古いビルの大連大和ホテル、横浜正金銀行、朝鮮銀行を見学後満鉄本社等古い建物を見学したが、今は其の後に高層ビルが建築されて70年前、80年前のかつて日本が権力を奪った象徴だった建物だが、 周辺の近代高層ビルに比べて淋しい感じがした。昔星の浦と言われた地区はスポーツ関係の設備や遊園地が出来て山側は高層建築が並んでいた。海岸を通って老古灘に出たが、虎の石造モニュメントはあったが其の手前が埋立てられて公園になり、15年前に来た時と大分変わっていた。旧日本人町の古い建物は今も残っていた。 大連駅前はデパートや地下街が出来ていて大変な人出であった。

11日4日(木)
朝8時10分発中華航空で成田へ向う。
今回の旅行で北京、威海、大連を廻ったがどの都市も新築高層ビルラッシュで経済 発展のスピードを感じた。デパートを見学しても電化製品、家庭用品、衣類、食品等数年前と一変した感があった。自動車が多くなり自転車が減少したようで短い旅行であったが、4年後のオリンピックに向って急進している中国を見た。

平成16年11月

北海道 鮭、カレー釣

 当社のお客様より鮭が釣りたいとの希望があり、釣り仲間に連絡して3名で行くことになった。
 先ず取引先の造船所から知床半島の羅臼で前回カレー釣りした事がある、帆立貝の養殖業者に舟をお願いした。鮭はオホーツク海側のウトロで遊魚船の鮭釣りをしている拓洋丸に予約を入れた。

9月10日 羽田よりJAS7時55分発で女満別へ
9時35分着。レンタカーを借りて網走経由ウトロへ向かう途中、網走・市内及港のロシア船・原生花園・オシンコシンの滝を見学。知床横断道路を通り羅臼峠を超えて羅臼に着き造船所を訪問して明日の釣りをお願いし明朝4時起床5時出港となる。

9月11日 朝4時起床して釣りの準備して舟へ行く。今日は金沢造船社長共釣人6名となり帆立貝の養殖場へ行く(港から500〜600m沖)
この養殖場は貝を吊り下げ式でロープを縦、横に張ってありそのロープの中間に舟を繋ぐ。
我々は餌に青イソメを買って行った。しかし地元の人は吊り下げている帆立貝を引揚げて貝柱は人間が食べて紐を3cm位に切って鈎にさす。この方が餌を取られる事が少ない。カレーはどんどん釣れる。種類はマガレー・黒ガシラカレー・ソーハチガレーなど三種、外道としてカジカが釣れるがカジカは海へ帰す。鈎は3本仕掛けで2尾・3尾と釣れて12時頃までに私は15kg位釣れた。他の人も同じ位釣れた。地元の人が釣った魚も私達にくれたので大和運輸から15kg入り4箱をクール宅急便の冷凍で横浜へ送った。
 その後又知床横断道路を上って峠で下車して写真を撮る。昨日は霧で何も見えなかったが今日は晴天で羅臼岳も国後島も良く見えた。秋の紅葉はこの横断道路では黄葉・紅葉。白樺等大変美麗な所だが今回はまだ時期が早かった。
知床五湖。岩尾別温泉観光。ウトロ港にて拓洋丸に会い明日の釣の打合せ。台風前は1人、15〜20尾も釣れていた。台風18号で海が荒れたために、昨日、今日は鮭が不漁との事で明日の釣果が心配だ。

9月12日 3時起床、4時出港との事で3時半に港へ行き船に乗船した。予約釣客10名の内4名が4時を過ぎても来ない。又連絡も無かったので6名で出港する事になった。
岡田船長の話では昨日は10時頃から釣れたので早朝は釣れないかも知れない。との事だ。仕掛けは胴突仕掛け5本鈎。ハリス15号、重り250号、竿は剛調子の竿、餌はサンマのブツ切2.5〜3cmを付けて海底まで落し50cm上げてゆっくりシャクル。深さは90〜120m位。釣船は40−50隻位出漁されているがどの船も釣れてない。午後2時頃まで我々の船の釣人は1〜3尾で私も丹羽様もまだ1尾のみ。横浜から、態々来たのに1尾では困った。帰ったら11名に1尾ずつ魚を差し上げる予定でいた。最低15尾は釣るぞと思って来たのである。
午後2時頃から沢山居た釣り船が帰り初めて3時頃には3−4隻になった。其の頃から魚探に反応が出て来て4時頃までに我々は4〜5尾釣れて帰港した。船長は最後まで頑張ってくれた。他の船の釣客はボーズの人もあったのに。

9月13日 魚を荷造りしてクール宅急便で発送するように民宿に依頼して9時頃女満別空港へ向かった。13時発の羽田行に乗った。

追伸 9月18日には1人47尾もの大釣りをした由、鮭は回遊魚の為日により釣果に大きい差が出る。

16年9月14日

知床の海で鮭釣り その2

 鮭釣りは始めての者ばかりだが、1人が釣ったので皆よし俺も釣るぞと言う意欲が漲った。次に大石様に釣れた。大石様のも大きい鮭だ!
 船頭は当たりがあったら鮭は群で来ているから、うんと力を入れて合わせて1m〜2m揚げて少し待つと、もうー尾食付くから待ってから揚げろと言った。
 その後平野様が釣った。平野様の鮭は一段とデカイ!
船尾側の人ばかり釣れて船首側の人は誰も釣れない。
他の釣船も集まって来て20隻位船が集まった。
 潮流は知床半島の先端方向に向かって相当早い流れである。
鮭の定置網は9月10日から入れるそうだが、今は網を入れる場所にボンデン(浮)がある。浮きの近くはロープも入っているので釣針が引掛ける心配がある。浮きの近くへ来ると船は潮上に移動する。
 今日は風も無く天気も良いが知床の山々には雲が架かっている。
宇登呂港を出ると右側に1661m羅臼岳が見え、次に1563mの硫黄山がある。
 我々の今、釣をしている場所からは1254mの知床岳の雄々しき姿が見える。
野生動物の宝庫である知床半島は、自然保護の為人間は入る事は許されない、道路も無いので陸路も入れない。船で行って上陸する事も許可が必要である。
 此の半島には熊、鹿、狐、狸、エゾクロテン、イタチ、エゾオコジヨ、兎、野生化したミンク、エゾリス、エゾモモンガ、シマリス、オオアシトガリネズミ、エゾヤチネスミ、コウモリ等が住み、海には各種のアザラシ、トド等が居る。
 野生化したミンクは、北海道東部のミンク餌育場から逃げ出したのが野生化し、ドンドン増加した。彼等は木にも登るし水も泳ぐので、鴨のヒナや兎のヒナ、小鳥のヒナが食われて被害が多くなっている。

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 冬にはカムチャツカや千島列島から尾白鷲も沢山飛来する。
5時半頃から釣り初めて、7時頃になって船首側にいた私の隣の高橋様が釣った。
一同又張り切る。
 次に私に来た電動リールがジージーと音を立てて上がって来る。
船頭がタマ網で取り込んでくれた、大きい!やった!
満足感で一杯だ!
船首側両サイドの丹波様と氷田様に、次は釣って下さいと声を掛ける。
 7時半頃までに船内で9尾釣れた。朝3時半にホテルを出たので朝食もしてないから空腹を感じるようになった。
 船頭の助手の人が、鮭と黒沢様が釣った鱈を料理して、大きい鍋に野菜と魚の味噌汁を作ってくれた。
 ホテルで作ってくれた弁当と魚の味噌汁で朝食。大きいドンブリに鮭がたっぷり入った味噌汁とオニギリは本当に美味い。全員船首の甲板に集まって味噌汁を2坏もおかわりして食べた。
 鮭釣りは1人5尾までの制限があるが、まだ9尾では駄目だ。
8人だから40尾釣らなくてはならない。
 食事後すぐ私が釣れた。重い!竿先がピクピクしながらゆっくり揚がって来る。
1尾船内に入れたら下の針にもう1尾掛かっている。
1度に2尾だ!
丹羽様にも釣れた。
船尾の人にも釣れた。
船頭と助手はタマ網を持って船内を走り廻る。
魚群が来ると一度に何人かが釣れるので船頭は大変だ。永田様にも釣れた。船首側で一番後まで釣れなかった永田様も、その後次々と釣った。
黒沢様が釣れたら全員釣った事になる。
船内にはもう20尾以上になった。釣れた中で大きいやつを持って各自の写真を撮る。
想出の為の証拠写真だ。

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 釣場を変えて10時頃、宇登呂港の方向へ30分走った処で釣り始めた。水深62mだった。針を入れて間もなく高橋様にも丹羽様にも釣れた。
船尾側の方でも釣れている又船内は大忙しになる。
又永田様にも釣れた。私にも釣れた。全員に平均して釣れたから、もう全員あぶれはない。甲板は鮭で一杯になる。
 魚群探知機には62mの海底線に添って魚影が盛り上がっている。
船頭は仲間の漁船に無線で「こちらに魚群が居るよ」と連絡する。
 30分もしない内に仲間の船が3隻走って来た。
船頭は私も仲間の船に教えて貰う事があるので、良い時は教えるのだと言った。
 その後次々に釣船が集まって来て20隻位になった。
釣竿を常時動かしているが、重い電動リールと仕掛けの先に重りが350gもあるから手も疲れる。
12時までに全員5尾ずつ釣って制限数になったので大漁の帰港だ。
よっかた!よかった!
全員大満足で人生の大きな想出が出来た。
 港に着き魚を冷凍してもらい、荷造りしてクール宅急便で送って貰うよう業者に依頼して、昼食は2時になった。
 今日は疲れたので全員ホテルで休む。
翌9月3日朝、北海道は強風注意報が出て、日本海側は大雨注意報が出ている。8時半出発して港へ行くと、今日も釣りに出港する筈の昨日の拓洋丸が出港出来なくて港に居る。

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 「よかった」我々は恵まれていた。もし今日釣りの予定なら北海道まで来て釣りをしないで帰る事になった。
 昨日海岸で投げ釣りをしていた人達が大勢居たので、それを見に行った。自動車が20台以上並んでいて、見せて貰ったら60cm位の鱒を4尾釣っていた。立派な鱒だ。今年は鱒が多いと漁士も話していた。知床は魚の多い漁場である。
 宇登呂から斜里へ出て小清水から硫黄山、摩周湖、阿寒を観光して夕方釧路から東京に帰った。観光地も雨は降らず恵まれた旅行であった。
 9月5日に鮭はクール宅急便で横浜に届いた。大きい鮭が1尾4.5kg、小さいのが3kgであった。
 もし北海道へ鮭釣りに行きたい人は拓洋丸、岡田文雄様へ連絡すると良い。

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知床の海で鮭釣り その1

 北海道の鮭釣りと言うと、海岸で投げ釣りで鮭釣りをするのは新聞やテレビでご承知の方も多いと思うが、知床半島の宇登呂では船釣りがある。
私の鹿猟を案内してくれる網走の岡田様は遊漁船の船頭で、釣シーズンには宇登呂を基地に出漁している。時季により鰈、鱈、ホッケ、ソイ、鮭、イカ等が釣れる。
数年前より私も鮭釣りをやって見たいと思っていたが、なかなか機会が無かった。
今年横浜塗料商業協同組合総会の折、今年秋の旅行に付いて打合わせをした時、人生の想い出になる旅行をしたいと言う声があり、北海道旅行で観光と鮭釣りはどうかと提案したら、面白い!と言う事で話が決定した。
 本当に良く釣れる時期は10日間位との事で早めに3ヶ月前に予約した。
希望者は10名になったが釣りをする人は8名、2名は船に酔うから観光だけとした。
 時期は9月1日解禁。9月10日過ぎは鮭の定置網が漁場に入ると釣れなくなるから、釣期間は10日間位が良いと聞いていた。

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 それなら早く行った方が良いだろうと9月1日〜4日までの日程を組んだ。
知床半島は天候が荒れる所なので雨が降ったら駄目、風が吹いたら駄目だから4日の日程の内、釣りは1日だが予定日が風か雨で駄目の場合は翌日に変更する予定を組んだ。しかし出席者はそれぞれ会社の経営者の為4日も休めない、3日の日程にしてくれと言う事になった。船空券の予約もあるので中1日の釣日の天候が心配だ。
更に3日の日程に土、日を入れてくれとの事で9月1日(金)、9月2日(土)、9月3日(日)を予定したから釣りは9月2日土曜日と決定した。
◎ 第一日 観光コース
 東京→女満別→網走刑務所→能取岬→網走市内→小清水原生花園→宇登呂→知床峠(買い物)→宇登呂泊。
◎ 第二日 鮭釣り
◎ 第三日 宇登呂→小清水→硫黄山→摩周湖→阿寒湖→釧路空港→東京
 船空券は早日に予約したので希望の日時が取れた。
観光の行程は観光バスなら料金が高くなるのでレンタカーを借りる事にした。
8月中は横浜は毎日34℃、35℃の酷暑が続き、雨が降らず、街路樹も元気がなくなる日が続いたが、一方天気図を見ると北海道は次々に低気圧が通過して雨ばかりである。
 今夏は太平洋高気圧の勢力が強すぎて前線を北に押し上げた為、本州は晴天続きで秋田、青森、北海道が雨ばかりとなった。
 我々が釣りに行く時の天気が心配である、8月中旬以後は前線が南下して、横浜も雨が降って貰いたいと思うが夕立も降らない暑い日が続いた。一方北海道は天気になって貰いたいと祈る気持ちであった。
学校の夏休みも終わりに近づいた8月27日頃から、前線が南下して裏日本側富山、新潟、山形も雨になって来た。
 8月31日の天気予報だと何とか北海道は天気が良くなりそうだ。
9月1日、7時55分発、女満別行日本エアシステムに乗るべく羽田に7時に集合した。
 メンバー全員予定通り集合したが、羽田は朝の出発便が多い為、飛び立つのは30分遅れた。

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 1時間40分で女満別到着、空には雲があるが風は無く気温は20℃位で調度良い。
空港前でレンタカーのブルーバード1台とセレナ7人乗りを1台借り、10人が分乗して網走へ向った。網走湖畔を通ったがシベリヤから渡って来る鴨はまだ来てない。
 刑務所見学後、橋の手前の山本商店で旅行中のビール、ジュース、スタミナドリンクその他釣船に持ち込む食品を買った。
 能取岬から知床半島を見たが雲で見えない。
小清水原生花園は夏休みが過ぎたので観光客は少なかった。
 ハマナスの花はポツポツ赤紫の花のまだ咲き遅れたのが残っていた。
濤沸湖は9月から10月、11月はシべリヤや中国東北地方から渡って来る鴨や雁、白鳥で湖面の色が変わる程飛来する湖だが、今はまだ渡り鳥も来ていない。
午後3時宇登呂に着き、ポケット電話で岡田様の拓洋丸に電話した。今港に入ったと返事があり、港で岡田様に会い、今日の釣果を聞いた。今日は鰈を釣った、他の船で鮭釣りをした船は1人3尾から5尾位との話であった。
私達はホテルに入る前に知床峠へ登った。車で20分位で峠に着き太平洋側に国後島がはっきりと見えた事は幸運だ。雲で見えない事が多い。左手の羅臼岳は車が着いた時雲の中だったが、5分もしない間に雲が飛んで頂上が見えた事も幸運だった。
 峠の手前の木々はまだ全然紅葉していない。
付近の山々の自然は雄大で美しさに感動する。山を下りて、斎藤造船様に紹介して頂いた水産物業者に、蟹を各自お土産に送って貰うよう依頼して6時頃ホテルに入る。
明朝4時出発だから夕食の後すぐ寝た。

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 9月2日、午前3時モーニングコールのベルで起こされたがまだ眠い。
急いで顔を洗い寒くない服装で3時半フロントに集合、すぐに港へ行く。船では船頭が来て出港準備をしていた。
 4時出港、また薄暗い。4時半東の空の雲が輝いて明るくなった、横浜より30分位朝の日の出が早い。
神の恵かと思う程、海は静かで雨も降らない。
 我々一同普段の行いが良いからだと一同天に感謝した。
半島の山々は海からすぐ立ち上がっていて海岸は絶壁が多く、沢から流れて来た水が直接滝になって海に落ちる所が数ケ所あった。
釣り場まで約1時間半、船は知床岬の方に向かって進む。
 船内で釣り道具を準備する。グループの大半は普段釣りをやってない人だから竿も、リールも船頭に頼んで借りて貰った。
 釣場に着いた時、他に2〜3隻既に釣り始めていた。
魚群探知機には魚の反応が出ない。
知床の海は潮流が早いので釣り人は全員左舷に並び、船を潮流に流して釣る。
 重りは350号、大物釣りだから竿先の強い竿。仕掛けには釣り針が私のは4ツ大きいのが付いていた。釣の間隔は約1m、針糸は40cm位で、太さ小指位の長さ5cm位の発泡体が通してある。針元には赤い小さい蛸の型の疑餌が付いている、釣針にはサンマのブッ切を付ける。
重りは一番下に付ける。
 水深42〜43m位で海底に着いたら1m位上げる。
9月10日頃から鮭の大群が来るとの話らしいが、まだ時期が少し早や過ぎたのか?
 船尾の方に4名、船首の方に4名で釣り始めたが暫く当たりが無い。
20〜30分した頃松永様が釣れた。大きい鮭だから、なかなか揚がらない。
 船頭はタマ網を持って飛んで行く。揚がった!でかいぞ!船内に歓声が上がる!

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九州の五島福江の釣り

 私は魚釣りも好きだが仕事が忙しいのと、東京湾では面白い釣りが出来ないので、1年に数回程度しか行く機会がないが、今年は9月に九州の五島列島にFRP船の関係で初めて出張する機会を得た。
福岡から日本近距離航空で福江に到着し、空港に降りたら釣りから帰りの人で大きいクーラーを持った人がいた。
「何が釣れました」と話したら「鯛だ」と言って、クーラーを開いて見せてくれた。
中には20cm以上の鯛ばかり。びっしり詰まっていた。「好く釣れましたね、良かったですね」と言ったら、私達の行く1週間位前に台風が九州の西側を北上し、対馬海峡を通って日本海に出て韓国、対馬にも被害があった。其の台風で五島にも被害があり、鯛の養殖生簀が破損して魚が逃げて其の付近で釣ったとの事である。

其れは面白い!
 そこで我々も今日はすぐ奈留島へ行って用事を済ませ、明日半日釣りをしようと言う事になった。
空港から福江の港迄タクシーに乗り、福江から奈留行きの船に乗り、奈留港に11時頃着いた。FRPの船を作る造船所は2軒と、船を修理のみやっている造船所が1軒あった。其の間1軒は社長が留守だった。此所の造船所は全部港に面した処にあり、12時過ぎには用事が終わり、食事して福江行きの船着場へ行った。福江行きの船は今出たばかり。「次は問いたら」16時だとのの事、3時間半もある。今から3時間半も此の待合室で待っても面白くない。それじゃ釣りでもと近くの釣道具屋で、一番安い釣竿とリールと餌を買って来て岸壁で魚釣りをやった。

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 最初は12〜13cm位のメジナの子供が入れ食いだ。コマセを投げてやると40〜50匹がワーっと集まってくる。
餌は沖アミの餌で入れたら釣れる。
2人でたちまち10匹位釣れた。
 其の頃から彼らも段々危険を感じて来たらしく、コマセを投げてもいきなり食い付かないので、コマセが少し沈んでから安全だと思うと食うようになった。それでも次々に釣れて20匹位になった頃彼らも警戒して、なかなか釣れなくなった。
20〜30m場所を変えて釣ると、今度は石鯛の子供10cm位のが釣れた。しかし此れはメジナ程数が居ない。其の内底迄やれば何か大きいやつが釣れやしないかと底迄降ろして見た。底は見えなくて深さ10m以上ある。
 釣れた何だろうピクピクしている。何だベラだ此のベラは旨くない。
アイナメでも釣れればと思っていたのだ。もう一度やって見たが又ベラだ。
何かもっと大きいやつが釣れないかな!
来た。此れは大きいぞ。何だリールが安物でスリップする。2m位上がった処で糸が切れた。残念、一番安い竿と安いリールで無論糸も細かった。


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 こんな状況で3時間は忽過ぎた。2人で重量にして3kg位釣れた。
16時の船で福江に17時前に到着。港の前のホテルに宿をとり、早速明日の鯛釣りの船の予約をした。我々は、服も帽子も合羽も何も持って来て居ないので、近所の釣道具屋でビニールの安い合羽とスチロールのクーラーを買った。釣道具は船で貸してくれるとの事だ。明朝船は6時出発だそうだ。2人で明日は鯛の御土産だ!私は福岡で乗り継いで東京行きに乗る。飛行機だから夕方横浜へ帰れる。釣らない内から今朝の空港の人のクーラーを思い出す。
6時に出発して昼頃迄には帰港し、1軒造船所に寄って仕事の話をして15時の飛行機で福岡へ帰るスケジュールである。
ホテルに翌朝の弁当を頼んで、早めに食事して床に就いた。
 6時ホテル前の港の釣り船に乗った。
 東支那海の海はけっこう波が高い。釣場は港から3km位の所であった。出港の時はまだ暗かったが、漁場に着く頃は東の水平線に太陽が顔を出した。
洋上で水平線に昇って来る太陽が雲を真っ赤に染めて本当に気分が好い。
手釣りの道具を貸してくれた道糸は太く、此れなら大物が釣れても大丈夫。
餌は生きた海老だ。此れなら鯛が釣れる。深さ約70〜80m位。当りが小さくあった。
合わせたが掛からない。釣り針は2本付いている。餌を取られたか?
しばらくして上げて見たら1本針が切られて1本は餌がない。
ありゃ!此れは河豚(フグ)だな。
釣り針を付けなおして又降ろした。

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又当りがあった。今度はやったぞ。何だろう?上げて見たら案の定河豚だ、河豚だが此れなら充分食べられる25cm位ある。次は赤い美麗なイトヨリが釣れた。30cm以上ある。其の後次々にイトヨリが釣れた。カワハギも大きいやつが釣れた。11時半頃迄釣って船頭と3人で河豚が3、カワハギ2、イトヨリ20匹位釣れたが、目当ての鯛は全然釣れない。
まあまあ面白い釣りだったが、鯛が1匹も釣れなかったのが残念だ!
船頭に文句を言う訳にも行かず、港へ帰って昨日の釣道具屋で聞いて見たら、「お客様、鯛を釣るなら此の港から、船で出たのでは駄目です」
台風で養殖生簀が壊れて鯛が逃げたのは別な湾の港で、そこから出れば鯛が釣れたのにと言われた。
なんだそうだったのか!
我々は船に乗れば、船頭が鯛が釣れる所へ案内してくれると思っていた。
昨日の内にその話を聞いて置けば良かった残念!
でもやはりあまり悪い事を考えない方が良かったのかも知れない。御土産は充分出来た。イトヨリも河豚も、カワハギも皆美味魚だった。

平成元年9月

小笠原の釣と漁業とFRP船 その2

母島漁業

 母島は人口約300人、小中学校の生徒40人
漁業専業船は20数隻、組合の年間水揚げ高が約3億円位で漁業の種類は底物釣りが一番多く、他に伊勢海老漁(内地の伊勢海老と違って一尾が2〜3kgもある大きさ)これは6、7、8月は禁漁。鮪延縄及び一本釣りは周年操業。
青海亀漁は6月、7月禁漁。
ムロ鯵棒受網は8月〜11月末までが漁期。飛魚は4月、5月に差網で獲る事もある。
珊瑚はかって沢山水揚げされたこともあったが、台湾の密漁船に執拗にやられて望みがなくなった。島の人達はふんまんやるかたなしで望みがたたれたと残念がっている。
復帰後20年、佐々木組合長の小笠原漁業の発展への熱意を色々お聞きしたが、私財を投じても島の漁業の発展に尽くして来られた功績は立派である。
現在漁港も市場も冷凍庫も組合事務所も立派になっている。
終戦後アメリカの統治時代は、20数年間住民が居なかった。かつての村はジャングルと化して居た。そこに新しく村作りをすることは、道路、水道、下水から始めて港の建設、住宅、学校、役所関係等住民の生活に必要な設備を全部作らなくてはならない。大変な資金と時間が必要である。

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農家もあるが山が多く、平地の少ない島だから斜面を利用してパパイヤ、西爪、パイナップル、バナナ、野菜、パッション(キウイ位の大きさのキウイのような木になる高級果物) 等が作られている。
北回帰線の少し北にある島だから椰子もあり、ハイビスカスが真っ赤に咲いている。
潮風が強い為、金物が錆びやすく自動車も2年で穴があくそうだ。
この島ではオールFRPの車なら錆びなくて好いだろう。そんな車が出来ればと思った。現在漁船は全部FRPになっているが、木造の片側フロートのカヌーもあり、又FRPのカヌーもある。海岸には海水浴客の為のシャワーも便所も立派に出来ている。

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父島

 7月28日午後、母島でお世話になった人達に見送られて父島に向かう。途中海が荒れて船が大きく揺れる。父島では久しく交際している横山様に迎えられて、珍しい島寿司をご馳走になった。
横山様は私より2才年上で現在65才。戦時中は陸軍で中国の華北(揚子江より北)を転戦した。
戦後は小笠原へ帰れないので相模原市で運送会社を経営していたが、10年前小笠原へ帰った。
其の時FRPのカヌーを自作して、自分で乗って帰りたいと話があり、私がFRP船の作り方を教えた事がある。
カヌーで小笠原へ帰る事は途中海が荒れると危険だから止めなさいと言った事がある。
其の後息子様達も手伝って、5屯クラスのFRP船、10屯クラスの双胴船等自作で5隻位船を作り、其の船で現在操業している。
面白い人で小笠原の木造カヌーで、一人で東京まで乗って行きたいという。
新聞やテレビに連絡して、出発すれば大きいニュースになって、東京到着の時はミス東京が花束を持って出迎えてくれるだろう。鈴木東京都知事も港で待って握手してくれるだろう。
神戸のポートピアに、太平洋のマリアナ諸島か何処かの島から、大型カヌーで行った船が小笠原に立ち寄った。
「俺は一人で行きたい」
「いやーそれは無理だ。あなたはもう年を取り過ぎているし、又途中の航海日数や食料。水の問題もあり、又海が荒れたら危険だから止めた方が良い」
「でもカヌーで東京まで行けば皆びっくりするだろうな」こんな冗談を言う人で大変面白い。

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私と一緒に是非一度、中国の昔行った処へ行きたいと希望をもらしている。
 それは危険はないから来年一緒に行きましょうと話した。
 其の夜は民宿で一泊。夜は海洋性気候で湿度が高く寝苦しい。父島の漁港は母島より多いが、鮪延縄船一隻の他は、5屯クラスのFRP漁船が大半だ。この島は内地からの観光客が、毎回小笠原丸で300〜400名来るが、其の内ダイビング客は40〜50名来るとか?
ダイビング用のFRP船が5隻位あった。
漁協の水揚高は、此所も年間3億円位だそうだ。漁種は母島も同じ。
17年前に来た時は、民家も民宿も少なかったが、今は港も立派になり道路も良くなり、民家も店も民宿も沢山出来ていた。
島の人口も約1,500人位となった。養殖漁業の設備も進行中である。
この島の産業も漁業と観光が中心だが、小笠原丸が6日に一航海で島民と観光客を運ぶだけで、飛行機が無いため、沖縄のような観光開発がまだ進まない。
父島、母島は山が多く、平地が少ないので空港が作れない。兄島に作ってホーバークラストで父島へ運ぶ方法でもよい。島民は早く空港を作って貰いたいと念願している。
東京から約1,000辧∩イ30時間要する事は、時間的には現在日本で一番遠い所である。
ジェット機なら1時間半で到着するだろう。急病人とか、鮮魚輸送も含めて飛行機があれば、島の観光も何倍にも増加することだろう。
5月29日午前中は、横山様の息子が車で島内を案内してくれた。低気圧が近づいて海は荒れているが、公害もスモッグもない。島の空気や海の水も青く透き通って、全く感じが良い。
空港が出来れば日本のハワイになるだろう。
12時に父島を出港したが、島の人達の熱烈な見送りを受け、翌30日夕方東京港に到着した。
高価の魚の御土産を沢山頂き深く感謝している。空も海も美麗な島では人の心も美しい人達ばかりの感がある。
私の人生に2度とこんな大物釣りが出来るだろうか。
汚れのない小笠原の今後の発展を祈る次第です。

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小笠原の釣と漁業とFRP船 その1

 小笠原は復帰後20周年。私は復帰後3年目に一度父島、母島を訪問した事がある。その時は漁船は木造のカヌーと3屯クラスの木造漁船と母島の漁業組合長の在々木様が20屯クラスの木造漁船を持っていて、其の船で一日魚釣りを案内して頂いた。
その時は底釣りをして、沢山釣れて大変面白い釣をさせて貰った記憶がある。
当社も時々漁船修理用やFRP防水用、その他でFRP資材を送っているので、是非もう一度小笠原へ行きたいと思っていた。
今回新島の森田造船がFRP漁船の納入と、船の修理に出張される機会に、私も出張することになった。
 7月25日、東京竹芝から小笠原丸で午前10時出港。浦賀水道通過の時に潜水艦「なだしお」と衝突して沈んだ遊漁船を引き揚げる、クレーン船が来て引き揚げ準備をしていた。こんなに沢山船が出入りしている浦賀水道を潜水艦が横断するのは全く危険だと感じた。
大島を越えたころから海が荒れてきた。
八丈島の先の青ヶ島位までは海が荒れると聞いている。私は船には強いので船酔の心配はない。
 小笠原の父島到着予定は、翌26日午後2時30分頃で、八丈島は午後6時30分通過予定。船の中では本を読む程度で大島を過ぎるとテレビも好く入らない。
東京から父島迄980km、母島迄1025km、父島に近ずくと海も静かになって来た。
途中八丈近海が荒れたため、到着は予定より1時間遅れた。
父島到着後すぐ母島丸に乗換て、又2時間余り午後6時過ぎ母島に到着した。
森田造船様は私より一便前の船で到着していて港まで出迎えてくれた。
其の晩は在々木組合長を交えて、小笠原の料理をご馳走になった。
青海亀の料理が珍品である。尾長鯛の刺身も旨い。魚釣りは翌日すぐ案内してくれる由、狙う魚はキハダ鮪だ。私は色々魚釣りはしたが、鮪釣りは初めてだ。何とか一本でも釣りたい。さぞかし一生の想い出となるだろう。

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 翌27日朝7時頃、森田造船新造の4.9屯の漁徳丸で出港した。昨日より少し海が荒れている。北緯26度の空は熱帯の海の感じ、西の空に虹が美麗に出ている。引縄釣りを船尾に引っ張って走る。一本は鰹用で針が2本付いている。もう一本の方は釣り糸も太く、針は一本で大きい針が付いている。
母島の西側を沖港から北上して、島の中央の岩場の周辺を回ったとき、私が持っている太い糸に「ガクン」と大きい衝撃が来た。
釣れた!でかいぞ!重い!船頭の築舘様がすぐ船のスピードを落としてくれた。
重い!重い!手は糸がスリップすると危険だから軍手をはめている。
一生懸命糸を引く。糸は太いから切れる事はない。
途中から魚が反対方向に逃げると糸は支えきれないで引っ張られる。
魚が止まった時又懸命に糸を引く。やつと船近くに来た。沖鰆(サワラ)だ。
長い体が海の中で青白く光る。此の魚は歯が鋭く危険だから船を止めて、船頭が手鉤で引掛けて船の中に取り込んでくれた。1m以上ある大物。船内で暴れると危険だから棒で頭を叩いて死し、漁艙の水氷の中に入れる。
「やった!」10kgはあるだろう。

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瀬戸内海で獲れる鰆は種類も違うが2〜3kgのが大きい方である。
八丈島で一度沖鰆を釣った事があったが3〜4kg位だった。
其の岩場の近くで又一本釣れた。此れも同じ位の大きさの鰆だ。
しばらく其の付近をやったが、後が釣れないので母島の北端の鬼岩付近を引っ張る。此所で又鰆が釣れた。
鰹のデカイやつも釣れた。ソーダ鰹だそうだが10kg位ありそうだ!
2〜3kg位の鰹も釣れた。魚探を見ると水探は50〜60m位だ。
ムロ鯵の餌を付けて底釣りもやって見た。
針は6〜7本付けている。底に当たってから1m以上揚げて、針が岩に掛からないようにする。
来た!来た!ビクビク引っ張っている。針が沢山あるので一度に沢山釣るべくしばらく待つ。もういいだろうと揚げる。手答えは大きい!青く透き通った水の中に赤い魚が揚がって来る。ニ匹だ!一匹はアカハタ(小笠原ではアカバと言う)。もう一匹はベラの一種(図鑑で見るとキツネベラらしい。)この魚は旨くないと同乗の大場君が海に帰してやる。

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アカハタは味噌汁にすると大変旨い魚だ。二度目もやったが又ベラだ。
目的は尾長鯛だが外道ばかりで底釣りは中止。朝、鰆を釣った場所の沖で今度は目的のキハダ鮪を釣る。
餌はムロ鯵を三枚に切った片身を付ける。
釣方はふかし釣りで、道具の手元の糸は太さ4mm位のロープだ。途中2mm位の釣り糸が付いて、先端はテグスの30号以上ある太いやつ。途中縒(ヨリ)戻しと、ショックをやわらげる太いゴムヒモが付いている。鉛の重りは付いてないから、餌は水面下10m位の位置となる。
船はゆっくり風に流しながら釣人はゆっくり糸を伸ばしてゆく。70〜80m位糸を伸ばして手に持って待つ。
同乗の大場君がムロ鯵をぶっ切りにした餌をコマセとして投げ込む。コマセが白く光りながら沈んで行く。
しばらく待つ内「来た」!大きい!鮪か?敵もなかなか引っ張りが強い!
右に引っ張り、又左へ引っ張る。やっと近ずいたら鰆だ。引縄釣りの道具は先端はワイヤーだったが、此の道具はテグスだ。
鋭い彼の歯で切られないか心配だ。
船頭が手伝ってくれて無事船内へ取り込んだ。今日は森田君と船頭の築舘様と大場君、私を含め4名だが、釣りをしているのは3名で、大場君は餌の係りと手伝いをしてくれる。
次ぎに森田君の針に来た。此れも大きい。此れはキハダ鮪だ。
私にも来た。これも強い。これは待望のキハダ鮪だった。「やった願望の鮪を釣ったぞ」
船頭にも来た。これは又大きいらしい。キハダ鮪だ。大きい!20kgはあるだろう。一番の大物だ!私は時々記念の写真を撮る。
森田君に又特別大物らしいのが来た。水面までたっと引き寄せたら大きい鮫だった。危険だから糸を切って逃がした。「畜生なんだ鮫じゃしようがね」と残念がる。
昼食は鰹の活きの好い刺身で食べた。船上での食事は旨い。
次ぎに場所を移動して向島沖で釣った。此所でもキハダ鮪が釣れた。鰹もハマチも釣れた。今日は全く感激の一日だった。
3時頃釣りを終わって3時半頃帰港した。今日の釣果は3人で次の通り
 キハダ鮪     5尾
 沖鰆(サワラ)  5尾
 鰹大小      8尾
 アカハタ     1尾
 ハマチ      1尾
合計重量は120kg以上ありそうだ。
こんなでっかい魚は持って帰れない。又ご好意で釣りを案内して頂き、魚を戴いて帰っては申し訳ない。
もし頂くなら小さいのを一尾頂ければ十分だ。後は船頭様の方で市場へ売って自分の水揚げにして貰いたいと思い申し出たが「いやいや全部持つて帰ってくれとの話し」。此れは大変と思ったら、船が港に着いて魚を陸揚げしたら組合長や石田様や船頭の家族の人達が来て、見る見る間に解体して頭や骨を取り除いて身だけにして、スチロールの箱に入れて冷凍庫に入れて凍結して帰りに持って帰ってくれと。さすがに漁士の方々は魚の扱いが早い。私も恐縮の感で一杯だ。

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八丈島の釣

 羽田発7時40分、八丈着8時25分のジェット機で行った。7〜8年前に行った時はYS機だったが、今はジェットも飛んでいる。
 ホテルに荷物を預けて早速観光で島を廻った。島の踊りや歌を聞いて闘牛を見たり、横八丈の染色や機織を見て廻って3時頃観光が終り、それから島のお得意の造船所を二か所を訪問し、明日は午前中釣りをしようと船をお願いした。
船頭様は前にも案内して貰った事がある豊倉様で、豊倉様の息子は当社で勤めてくれた事がある。
 此の時も朝6時出発と言われた。
4時半頃から目が覚めて眠れない、5時頃から起きて外を見ると、風が無くすごく良い天気だ。此れは良いぞ。
八丈島は風が強い所で、今まで数回釣りに出た事はあるが、風が強くて良い釣りが出来ない事が多かった。
今日は此の分なら最高だ。
 6時前にホテルへ迎えに来てくれて、6時に出発したが、此の頃から風が出て来た。
漁場は三根港から2〜3km位の沖だったが、其の頃は波も風も強くなった。
今日は底物釣りの予定である。船頭は何とか私に大物を釣らせようという気分が良く分かる。尾長が釣れれば良いがと言ってくれる。尾長とは尾長鯛の事で尻鰭が長い鯛で食べると大変美味い鯛だ。

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 スパンカを揚げて(スパンカとは船尾に揚げる帆で船が風の方向に向くようにする帆)漁探で海底の地型を見て釣り針を降ろす。
道具はFRPの釣竿が船べりに固定してあり、電動リールの大きいのが付いていてリールのレバーを調整してゆっくり降ろす。
リールのメーターが段々数字が増加して行く。止まった時見たら深さ300m。随分深い。海底に着いたら2〜3m上げる。
 私の道具は針が7本付いている。餌は烏賊の切り身と鯵の切り身を一緒に一本の針に付ける。竿先を見ているとピクピクと動く。来ているな。竿を持ち揚げて見ても釣れてるかどうか、感じがわからない。暫く待って電動リールの巻き挙げボタンを押す。ジーと言いながら道糸がどんどん巻かれて、深度目盛りの数が段々少なくなる。手で揚げるのでないから人間の方は楽だ。深さ300mだから上まで揚って来るには数分を要する。深度目盛りが0になるとストップする、其の後は手で揚げる。
 感触あり、デカイぞ、やった尾長だ!胴体が40cm、尻鰭を入れると60cm以上はある。何回か八丈で釣りをしたが、尾長を釣ったのは初めてだ。
餌を付けて替えて又降ろす。

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 船頭も尾長を釣った。
底に着いた道糸を手で持っていても、食っているかどうか感じないが、手を放して竿先を見ていると又動いた。見ていると時々動く食っているらしい。
揚げて見た。やった!此れもデカイ。
金目鯛に似ているが金目と違う。船頭が名前を教えてくれたが忘れたので帰ってから、魚類図鑑で見たら南洋金目と書いてあった。
尾長と同じように色は真っ赤だが幅が廣い。長さは50cmはあるだろう。
船頭は又尾長と南洋金目を釣った。風も波も強くなり船が流される。船頭は漁探を見て船を動かし、釣れそうな海底の地型を見ている。
よしと又道具を降ろす。食っている竿先が動く。揚げて見たら此れ又今まで見た事がない魚。此れも名前がわからない。此れも図鑑で見たがウケグチイットウダイかノコギリダイからしい。図鑑の色と釣った魚の色が少し違うが魚の形は此のどちらかだ。
次々に釣れたが益々風と波が強くなる。船頭は沢山釣らそうと思って努力してくれるが、水深300mもあると、魚探で見て此処だと言って、船を止めて道具が海底に着くまでは船が流れてなかなか良い所に釣りが行かない。7時頃漁場に着いて9時頃まで釣ったが、漁協の無線で午後からは風速8〜10mで強風注意報が入って来た。

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全部で15匹位釣れたので帰る事にした。帰港したら10時だった。
釣った魚は魚艙の氷の中に入れていた。港に着いて漁協へ行ってスチロールの箱を買って来てくれた。入れて見たら箱が小さくて入り切れない。又大きい箱に取り替えて魚と氷を入れてホテルへ持って帰った。
今回は家内と家内の姉様達も一緒に行き、彼女達はホテルで待っていた。私の帰りが予定より早いので事故でもあったかと思ったらしい。早速箱を開けて見せて皆で大喜びだ。横浜に電話して、今夜の夕食は此の魚を料理して、皆に食べさせると連絡した。
八丈は磯釣りの人達が大勢来る所だ。大物も良く釣れるそうだが、私はいつも船釣りで鰹を釣った事もあり、赤ハタ、皮ハギ、ベラ等も釣った。此処は海が静かなら何を釣っても面白い所だ。
今回も海が荒れて釣る時間は短かかったが、お土産は充分出来たので満足だった。
機会があれば又是非行って見たい。

昭和62年6月

北海道の釣

 毎年10月は北海道へ仕事を兼ねて鴨猟に行っていたが、案内してくれる中村様が昨年病気をして体調がまだ完全でないので、今年は釣をする事にした。
 9月に電話で様子を問いたら、鮭が釣れるとの事。鮭ならデッカくて面白い。
10月9日羽田発、女満別行の飛行機で行き、弊社の代理店の石戸谷様と女満別空港で落合って一緒に造船所を廻った。
 オホーツク海側の常宮、雄武、網走の造船所から知床半島の宇登呂に出た。
宇登呂には、かつて鴨猟を案内して貰った事がある岡田君が遊漁船をやっている。彼は冬になって海の漁が出来なくなると、網走へ帰って鹿猟をやっている。
猟に於いても、又海の漁にも彼と一緒にやらせて貰った事があるが、彼はお客様に対し大変親切である。2年前、彼の船で釣りをした時は、他の客がどんどん鰈を釣るのに、私はあまり釣れなかったが、其の内私の道具に大きい石が引掛ったらしい。糸が切れないように、ゆっくりゆっくり上げたら何と大きい10kgもある水蛸だった事があった。
宇登呂の港へ立ち寄ったら船が寄港して居て2年ぶりに会うことが出来た。

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 9月に九州へ行った時、宗像神社で海上安全と大漁祈願のお礼を戴いて来たので岡田君に贈呈した。
彼の話では9月上旬は、鮭が沢山釣れて1人平均5匹釣れた。
今は全然釣れなくて鰈釣をしているとの事。
私は厚岸で10月12日に釣る予定を立てているが、それじゃ厚岸も駄目かな?
10月11日、厚岸に到着して遊漁船の中村様へ行ったら、此処も今鮭は釣れないとの話。代わりに鰈が釣れるからと言う事で、此処でも朝6時に出港。今までは毎年此の厚岸湖の奥のトキタイと言う所で鴨猟をしていて面白い猟をやらせて貰った。
今年は寒くなるのが遅れて鴨の渡りが少ないと言う。鴨は9月頃から北のシベリヤや満州から渡って来る。雁も白鳥も来る。
厚岸湖は入り口が海に続いていて、湖と言っても海水である。
釣り場は船着き場から500〜600m位の近い所、餌はゴカイで深さ7〜8m位の浅い所。
早速釣れたがアイナメの15cm位のやつ。来年大きくなったら又来なさいと海へ帰してやる。次々に釣れるが此の程度のアイナメが多く、全部小さいやつは海へ帰した。
 ひとわたり小さいアイナメが釣れた後、鰈が釣れ始めた。結構大きい。此れなら良い。私たち二人と船頭と3人で次々に釣れる。あ!でかいぞ。カジカだ。カジカは頭が大きくて恰好の悪い魚だが、此の魚は味僧汁にしたら最高の味だ。
 鰈は黒カシラと言う種類だ。アイナメの30cm級や蟹まで釣れる。天気も良く鮭は駄目だったが、鰈、アイナメ、カジカで12時頃までに大きいトロ箱一杯釣れた。
昼で終わって帰ったが、此処の釣りも大変面白かった。中村様は親身になって世話をしてくれる人だ。魚はスチロールの発泡体の箱に入れてドライアイスを入れて横浜へ宅急便で送ってくれた。
横浜に着いたら凍っていた。社員や近所へも分けて喜ばれた。
 此処厚岸は根室と釧路の中間の太平洋側の漁港で、造船所も多く、最近は海洋牧場の計画に従って、工事、設備が進められている。私の行った時は、前日に牡蛎祭りが終わっていたが、此処の厚岸湖で牡蛎が天然に繁殖し、此れを殻のまま焼いて食べると海水の塩味が丁度良くて大変美味しい。又アサリも沢山採れる。此れも貝汁にすると大変美味しい。

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  厚岸湖の奥のトキタイは秋になると真っ赤に変色する厚岸草がある。
此のトキタイは鴨猟場で数千羽の鴨が次々に編隊を組んで、渡って行く姿が見られる。
又此の猟場に1日居ると丹頂鶴、雁、白鳥、鷲の飛来も見られる。
 冬になると厚岸湖は奥の方から段々と湖面が凍結して来る。白鳥の群れも段々に氷に追われて湖の海との開口部の方へ来る。
其の内に湖面が全部結氷すると氷の上に一本足で立って夜寝る。寝ている間に海の湖が満ちて来ると、海水が湖の結氷の上に入って来る。
朝になって明るくなる頃、結氷の上に流入した海水が又凍結して、白鳥の足が氷付いてしまって飛べなくなる。
湖岸の人達は、それを見ると氷の上を歩いて行って、氷を割ってバタバタしている白鳥を助けてやると言う、心優しい話も聞いた。
 かつて厚岸では、太平洋側で唯一の鰊の漁場で、鰊が採れると町中が湧いたが、今は全然獲れない。
又鯨の処理場もあったが、今は無くなった。
今は鮭、秋刀魚、鰯、その他の漁で町は昔より発展している。

昭和60年10月
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